私たちが
英語を学ぼうと決めてから直ぐに
1人の男性が
「予約はしていないのですが、、」と
暖簾をくぐってきてくださいました。
店主がお話をお聞きすると、
韓国ご出身で
現在はイギリスで料理人をされている方とのこと。
その日は、少し多めに準備があったので
少しお時間をいただき、
席にご案内いたしました。
料理をひとつひとつ
こころから慈しんで味わってくださり
日本酒も料理にあわせて
愉しんでくださいました。
彼は、
「地の物を、地で愉しむ幸せ」を
ご存じの方でした。
また、そのしあわせを
未来にもつなげていきたいと
考えていらっしゃる
素晴らしい料理人でした。
穏やかで、
そして真摯で
まっすぐに「食」と「人」に
向きあっていらっしゃることが
表情からも
美しいことばからも伝わってきました。
この方の料理をいただきたいな、
そんな想いで胸がいっぱいになりました。
幸せな気持ちを沢山いただいたので、
私は彼に感謝をお伝えし、
20年前に韓国に旅行に行った時のことを
お話ししました。
当時、ツアーでまわった韓国のお店では
日本の観光客を歓迎してくれて、
言葉も日本語で、
すごくウェルカムな雰囲気で
観光や買い物を楽しみました。
自由時間、
私と先輩は韓国の街に繰り出しました。
「本場の屋台でおいしいものを食べたい」
そう思って、
地元の方が多い屋台に向かいました。
私たちが席について
日本語で話していると
屋台を運営している年配の女性が、
顔をしかめました。
注文をしても
首を横に振って、ほかの韓国のお客さんと
眉をひそめて話していました。
「ああ、そうなのか。」
ここには国と国の問題が
根強く残っていて、
私たちはあまりにも無知だなと
ショックを受けました。
どうしようか
ホテルに戻ろうか、、、
悲しい気持ちで席を立とうとした時、
若い韓国のカップルが
声をかけてくれました。
「嫌な想いをさせてごめんなさい。
韓国には日本に対して、
マイナスな感情を持っている人もいます。
でも、ぼくたちは日本の文化が好きです。
日本にはたくさんの優しい人がいることを
知っています。」
そういって、
屋台の年配の女性とも話してくれました。
屋台の女性が
少しあきれたような顔をして
でも、渋々頷いていました。
彼らは私たちの注文を
代わりにオーダーしてくれました。
「韓国の屋台では、ぜひ
このスープを楽しんでください。」と
屋台のおでんのような料理のスープも
取り分けてくれました。
その優しさと、美味しさと
一生懸命に話してくれた日本語がうれしくて
何度も何度もお礼を伝えました。
二人は、嬉しそうに笑ってくれました。
初めての海外。
なれない土地で
親切にしていただいたことを
いつも想い出しては
自分も、旅の人が困っていたら
恩送りをしたいと思っています。
そのことを彼に伝えると
彼は
「嫌な想いをさせてしまい、
韓国人として謝ります。
でも、あなたの旅が良いものになって
本当に良かった。
実は私の父も戦争で日本人に家を潰されて
土地も奪われました。
だから僕が日本語を話すことを、
両親はよく思っていないです。
戦争という背景はあります。
けれど、僕は個人として日本が好きですし
日本の技術も料理も、文化もすごいと思っています。
僕は夏目漱石が好きですし、俳句も好きです。
僕が使っている包丁はすべて日本製です。」と
話してくれました。
心が熱くなりました。
過去のこととして
あまり目を向けることがない戦争。
見える部分でも
見えない部分でも
悲しい想いやつらい思いをした方々が
たくさんいること。
そのうえで、
個人を大切に想い、
相手の文化を学び、
その中に良いと思うものを
見つけてくださる方がいてくださること。
こうしてことばで
伝えてくださること。
私たちには、何ができるのだろうか。
過去から学び、今を生きる。
相手をおもいやり、真摯に向き合うこと。
臆することなく
感謝の想いを伝えること。
目の前の方を大切にすること。
彼との時間に
たくさんのことを考える
きっかけをいただきました。
私の祖父の
異国の地で敗戦を聞き、
「死」を決意したのに
敵国であったはずの人たちに、
かくまってもらい、
看病してもらい、
命を繋いでもらって
日本に帰ってくることが出来たという話を
思い出して目頭が熱くなりました。
お帰りの際に、
彼は韓国のお札を私たちにくださいました。
描かれている肖像は
韓国儒教の父、
栗谷李珥であると教えてくれました。
儒教には
仁・・・ 慈しみ、思いやりをもつこと
義・・・ 道理、人の行うべき道筋を考えること
礼・・・ 礼儀をわきまえること
智・・・ 物事を理解すること
信・・・ 人を信じること、人を欺いてはいけない
という教えがあるそうです。
彼はいつもそのことを
大切にしていらっしゃるのだと。
生きる土地が違っても
文化も思想も宗教が違っても
目の前の相手へを思いやる気持ちを
忘れることなく、在りたい。
彼は
英語と、フランス語、韓国語は話せます。
日本語は完璧ではないですとおっしゃいましたが
彼が美しい日本語を話してくださったので
私たちはたくさんのものを
彼からいただき、考えることができました。
ことばを超えて伝わるものを
一番に大切にしながら、
想いを聴く、
そして伝える手段である「ことば」も
大切にしたい。
次回、お会いできる
そんな素敵な機会があったら
英語で挨拶できるように、
そして自分のことばで
この日の感謝を伝えることができるように。
戦後79年。
私はどう在りたいのか。
素晴らしいご縁に感謝いたします。
It is never too late to become what you might have been.
(George Elioto氏)
赦すこと、愛すること、感謝することは
幸せな人生の本質である。
(大久保 寛司氏)
感謝を込めて。