2023年6月13日

【僕がご飯粒を残さないわけ】の写真1

村上信夫さんが
「僕がご飯粒を残さないわけ」という
小学5年生が書いた作文を
朗読してくださった。


小学5年生の彼は
ご飯粒を残さず食べる。


ご両親が
お米の大切さを教えてくれたこと。


1年生の頃の
とてもあたたかな先生が
「この1粒に
田んぼで働く人が見えるかな?」
と、ごはんを大事に食べることを
教えてくれたこと。


金曜日には先生が
そのあたたかな手で
美味しいおにぎりを
「ぎゅうっ」と握ってくれたこと。


おじいさんとおばあさんが
お米を作ってくれていること。


5年生になって
自分自身も米作りの大変さと
喜びを実感したこと。


彼は色んなことを通して
「田んぼで働く人が、米一粒に
はっきり見える」ようになった、と。


だから、
「一粒の中に
作ってくれた人の苦労と
手と汗がある米を
僕は絶対粗末にしない。」と
言い切ってくれた。


私は、
その小学5年生の男の子の作文を
村上さんが朗読してくれている間
自分が泣いていると

気がつかないほど聴き入っていた。

 

頭で聞くのではなくて
耳で聞くのではなくて
心で聴いている感覚。


聴き終えた後、
自分の中の
棘が抜けたことが分かった。


その棘は
学生の頃に
ご飯粒を残さない様
箸でつまんで食べていた時、


大人の女性に
「みすぼらしい」と
言われたことだった。


ご飯粒まで食べるなんて
みすぼらしい、ということだった。


私の家も米を作っていて、
米一粒の大切さを
小さな頃から教わってきたので
そのことばに本当に驚いてしまって
固まってしまった。


米の大切さを教えてくれた
祖父母や両親の顔が浮かんで
悔しかったし
悲しかったけれど
何て言えば良いのかわからなくて
唇だけが震えた。


眉を顰めたその顔に
向き合っていられなくて
そのまま下を向いてしまった。


このお米に
どれだけの想いと
人の手がかかっているか
ということを言おうとして
それは農家のエゴかもしれないと
一瞬思ってしまった
自分も恥ずかしかったし


どこかで農家の仕事を
田んぼがあるから
畑があるから
仕方なくやらなきゃいけないと
思っているのではないか?


と自分の中でぐるぐるしてしまったのかもしれない。


ことばにならなくて
苦しいのを飲み込んだ。


そういう部分全てひっくるめて
悲しませたくなくて
家族の耳にだけは入れたくないと
棘ごと蓋をしたのだと思う。


それから
長い年月、


忘れていたのか
忘れたフリをしていたのか
わからないけれど、


自分の人生の中で
本当に本気で農業や
ものづくりをしている
素晴らしい方々に出会った。


それはもう、
すごくかっこいいと思った。


イキイキと誇りを持つ姿に
心から惹かれた。


働く姿って
こんなにも美しいものなのかと
同じ空間にいるだけで
心が高まって
それでいて穏やかな気持ちになった。


だからこの作文を
このタイミングで
村上さんが心に響く間と声で
朗読してくださって


5年生の彼が
一粒も残さないって
言ってくれたことに心が震えた。


そうだ。
良いんだ。


彼が書いた「ぎゅうっ」に
私が「ぎゅうっ」てしてもらって
涙が溢れていた。


そうだ。
あの時、そう言いたかったし
本当は私も心から
そう思っているんだって、溢れた。


棘が抜けた。
それで繋がった。


なぜ私が「紡ぎ」でありたいのか。
紡ぎたいのか。


料理を通して
その向こう側を
知って欲しかったのだ。


一生懸命輝いている
命を知って欲しかったし
そこには私たちが思っている以上に
大きな優しさがあることに
少しでも触れて欲しかった。


だからこそ
味わえる美味しさがあって
だからこそ
有難いし面白い。


一緒に紡ぎたい。
一緒に美味しいを届けたい。
一緒に味わいたい。


だから「紡ぎ」なのだと
ストンと腹に落ちてきた。


不思議と
大人の女性に抱いていた
悲しみや怒りに似た感情が


今日、
このことに気付く為の
出来事だったと知る。
ありがたいと穏やかに思えた。


自分の変化が
素直に嬉しかった。


村上さんは先輩に
アナウンサーの魅力を尋ねた時、
「嬉しいことを倍にして
悲しみを半分に減らす」という
回答を聴いて
NHKのアナウンサーになると

決心されたそうだ。


ああ。
悲しみが半分どころか
感謝になってしまったと
信州ことば紡ぎ塾が終わった後
胸いっぱいになった。


後日、村上さんが
『嬉しいことばが自分を変える』
という尊書と
「僕がご飯粒を残さないわけ」を
贈ってくださり


ことばの大切さと
そのことばの奥にあるものに
触れることができた。


小学5年生の男の子の
マスいっぱいに書かれた力強い文字にも
また泣けてきた。


嬉しくてありがたかった。


昔の話と感謝と共に
家族にも見せたい贈り物になった。


息子たちにも聞かせたい宝物。


田んぼに行くのだって
りんご畑に行くのだって
前とはまた違う景色が見える。


頭で覚えたことは
忘れてしまうかもしれない。
でも心で覚えたことは
きっと忘れない。


この先、何かあった時
私はきっと
その5年生の男の子と
心の中で対話するだろう。


「一粒の中に
作ってくれた人の苦労と
手と汗がある米を
僕は絶対粗末にしない。」


彼には
美味しいの向こう側が見えているのだ。


このことばに出会えて
本当に良かった。


ありがとう。


手を合わせて、
「いただきます」と
「ごちそうさまでした」を
心から言える喜びをありがとう。

 


『食べたもので身体が作られる。
聴いたことばで心が作られる。
発したことばで未来(人生)が作られる。』


信州ことば紡ぎ塾、
また、
一期一会のかけがえのない時を
皆様と過ごしたいと考えております。


ご参加くださった皆さま
講師の村上信夫さん
本当にありがとうございました。


席に限りがあり、残念ながら
ご参加いただけなかった方も
いらっしゃいました。


次回、お声がけさせてください。


感謝を込めて
女将 由起子

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